マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(2の1)


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▶暦の上では立冬となった11月7日、前回の遍路の続きで、再び徳島阿波踊り空港に降りたった。時刻は午後5時。機内アナウンスでは揺れが予想されるとのことだったが、大した揺れもなく無事に着陸。預けた荷物を受け取ってから徳島駅行きのリムジンバスに乗り込んだが、このあたりは前回経験済みなので迷うことはない。バスが徳島市内に入ると、辺りはすっかり暗くなった。秋の日は「つるべ落とし」を実感する。
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▶天気は下り坂で、明日は雨の中を勝浦町の遍路宿までおよそ25㎞近くを歩くことになりそうなので、一抹の不安な気持ちが頭をもたげる。雨中の歩行が厳しいというのはもちろんだが、先週の火曜日に庭木の剪定で無理をした影響が、いまだに右胸の筋肉痛?として残っていることの方が実は大きい。寝返りするのもまともにはできず、咳払いをするだけでも痛むので、全く始末が悪い。昔、バイクの教習所で転倒した時のことを思いだした。

▶さて、明けて今日は月曜日。徳島の朝6時はまだ薄暗い。体調はまずまず。雨は降っていない。低気圧の接近が少し遅れているのか、理由はともかく、雨でないのはありがたい。駅前のホテルを7時に出る。午前10時に18番札所の恩山寺に到着するつもりで、国道55線を室戸方面に向かって歩く。途中、高校生が次々と自転車通学する姿に出くわした。50年前の自分の自転車通学の姿に思わず重ね合わせてしまうのは、年をとった証拠ですかね。

▶6㎏のリュックを背負って1時間歩いたら、たちまち足の裏が痛み出した。未だオープンしていないラーメン屋の前で靴を脱いで、足裏をテーピングする。こんなことなら、ホテルで済ませておけば良かったと思ったが、後の祭り。まあ仕方ありません。55号線は車の通りが激しい。2時間近く歩いて、やっとのことで恩山寺方面の遍路道に入った。空には薄日も出てきた。

恩山寺の仁王門をくぐって、ややキツイ上りの旧遍路道を登って行くとようやく境内に到着。境内は空いていて気持ちがいい。本堂と大師堂に納経を済ませてから御朱印をいただく。水場の横のベンチに座って、先日の飲み会(ビールの会)の時にいただいた浅草亀十のどら焼きを持参したので、こちらもありがたくいただく。ごちそうさまでした。
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恩山寺を出るとかなり本格的な遍路道となった。足裏の痛みは気にならなくなり、快調に次の19番札所の立江寺に向かって歩く。竹が生い茂る道は不思議な空間だ。

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立江寺の直前で僅かに道を間違えたが、12時前には何とか到着。さすがに疲れた。喉が渇いていたので水場のひしゃくで水を飲んでいると、「ひしゃくに口をつけて飲んではけません」と後ろのおじさんに厳しく叱られた。「遍路は初めてなので、スミマセン」と小さな嘘をつく。このおじさんは、完全に上から目線だった・・・。
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▶納経を済ませると同時くらいに雨が降りだした。やはり天気予報はあたる。時刻は12時を回っているが、近くに昼食をとれるような食堂もないので、立江寺の境内でレインウェアを着てそのまま出発した。今日はこの後は宿舎を目指して歩くだけだが、距離はなお10㎞以上は残っている。昼メシは食っていないし、雨模様の中を歩き続けるのは、正直辛かった。

▶途中、ローソンがあったので休憩をとったが、フードコートはコロナ対策で使えないとのこと。せっかく椅子があるのに座れないとは、ローソンも懲罰ものだ。徳島県は直近一週間はコロナ感染者がゼロだというのに、この融通のなさはなんだ・・・とわめきたくなる。しかし、日本人は従順だ。

▶それから1時間余り歩き続けて、勝浦町の予定の宿にたどり着いたのは、午後3時を過ぎていた。今日は初日からよく歩いた。お疲れさまでした。