マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

令和4年の新年を迎える


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▶昨年末は、珍しく忘年会が立て込んで、22日から27日まで連続して東京や千葉で酒を飲んだ。この年齢になると、さすがに連チャンはキツイが、いずれも満を持しての飲み会だったので、断る選択肢は全くなかった。仕事をしていた頃は、12月は毎日のように夜の会食があったから、それと比べるとこんなものかという気はするが、一人身になってみると、誘ってくれる友人がいるということは、改めてその有難さが身に沁みる。

▶28日は自宅で休養して(といってもビールは飲んだ)、29日は朝から家の正月支度に精を出した。正月支度といっても、いつもよりは念入りに掃除をしたり、大晦日に泊まりに来る子供達のためにベッドメイキングをしたり、あるいは、しまっておいたコタツを引っ張りだして、居間に据える程度のことだが、全て一人で行うしかないので、終わったらかなり疲れた。

▶妻がいた頃は、正月飾りやお供え餅の準備にも手を抜かず、神棚の千葉神社の御札を新しいものと交換することに怠りはなかったが、これらは全てやめた。既に神棚の祭具もあらかた断捨離してしまったので、現在残っているのは扉を閉じた白木の神殿だけとなっている。これら伝統的な季節の行事をやめることには心理的な抵抗は正直あったが、自分一人なので思い切ってやめてみると、その分、生活がシンプルになったのは間違いない。そのかわり、正月の気分は薄っぺらいものとなったが、これはいたしかたないことだろう。

▶文芸評論家の小林秀雄は、近代的知性主義や合理主義の波に洗われて、「豊かな感受性」を表すものは、既に現在の日本には殆ど残っていないと嘆いた。彼に言わせると、人生の真の充足感や満足感というものは、近代的思考から生まれてくるものではなく、むしろその束縛から自らを解放させ、過去への共感能力を高めていくことによってのみ得られるということのようだ。小林から見たら、私など叱られそうだが、小林が求める美意識の追求と現代的な日常生活が両立しにくくなったことだけは事実だろう。よくも悪くもね。

▶せめてということでもないが、30日は近くの生鮮市場で正月用の生花を購入し、玄関と居間に飾ったら、何だかぐっと正月らしくなった。昼前に、ネットで頼んでおいたおせち料理が宅配便で届く。午後、近くのスーパーでビールや酒の類を買い溜めして、私の正月準備は終了した。ここまでくると夕食の準備をする気にはなれず、年末の挨拶を兼ねて、夜は行きつけの居酒屋で酒を飲んだ。店には常連さんが沢山来ていて、この店だけが賑わっていた。

▶大晦日は、長女一家と紅白歌合戦を見ながら年越しをした。私は、ここ数年紅白歌合戦を最後まで見たことは無かったが、この日は珍しく最後まで見た。歌合戦ということなので仕方なく勝敗を決めた感じで、会場の審査員の投票とは裏腹に紅組が優勝したが、この面での盛り上がりは全く無かった。NHKも「紅白歌合戦」の賞味期限が切れているのは十分承知しているはずで、このお化け番組もこれが最後となるかもしれない。それはさておき、個人的には初っぱなの郷ひろみの「億千万の胸騒ぎ・・・」の熱唱が一番よかった。

▶令和3年はこうして終わり、明けて令和4年。元日は日本列島を寒波が襲い、日本海側では大雪となった。太陽の運行や時の流れに切れ目というものはないので、新年が来るとめでたいと思うのは、全く人間の創り出した幻想だとは誰が言ったか忘れたが、神無き世に生きる現代人にとっては、カレンダーに記された僅かな区切りのみが、生きるよすがとなっているというのも一つの事実ではある。午後、長男と次女の家族もやってきて、我が家は十数人の大賑わい。夜は大勢が集まった時の恒例で手巻き寿司を食べたが、台所にはビールの空缶の山ができた。

▶2日には長男一家が帰り、3日には残り全員が潮が引くように帰っていったので、我が家にも静けさが戻ってきた。4日は仕事始めの日。私には縁がないはずだが、やらなければいけない家事は残っているので、洗濯やフトン干しに精を出す。正月中に溜まったゴミを整理するのも一仕事だ。
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▶年が明けて、日本でも新型コロナ感染症がぶり返してきたようだ。感染力は強力だが重症化率は低いとの報道があったオミクロン株の登場は、果たして世界にどのような影響を与えるのか。アメリカの一日あたりの新規感染者数が100万人を超えた。今年はそのアメリカの金利が間違いなく上昇する。長期にわたってデフレが続いている日本にも、インフレの兆しが現れだした。台湾情勢は緊迫の度を増してきている。さて、令和4年はどんな年になるか・・・・。