マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

勝浦東急でゴルフと二日酔い


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▶まもなく2月が終わろうとしている。北日本に大雪を降らせた寒気団も、昨日あたりから徐々に退いていくなかで、関東地方では本格的な春の足音が聞こえてくるようになった。今日は朝から天気は快晴で、芽吹きの兆しが見える庭先のユキヤナギの枝に、穏やかな春先の陽射しが降り注いでいる。しかし、テレビをつけると、この平和な日本からは想像もできないウクライナの戦争風景が飛び込んでくる。降り注ぐ陽射しの中で、静かで平和な朝を迎えているこの自分と、戦禍におののく無辜なウクライナの人々の間によこたわる救いがたいほどのギャップの大きさ。これが、今日ただいま起こっている世界の現実なのだ。それでも、私は私の日常を過ごしていくしかない。彼らが彼ら自身の日常を過ごしていくしかないのと同じように・・・。

▶(ウクライナの人には申し訳けないが)おとといの金曜日は、大学時代の友人二人に誘われて、勝浦まで一泊ゴルフに行ってきた。友人の一人が東急ハーベストクラブのメンバーで、宿泊もゴルフも東急ハーベストでワンセットで予約してもらったので、ありがたくゲストで参加させてもらった。友人達は、東京発7時15分の特急わかしおで勝浦まで来るのだが、私は297号線を車で走って勝浦まで行った。朝、家を出たときの気温が2℃だったが、大多喜の手前では氷点下まで下がった。さてさて、どうなることかと思っていたが、勝浦のゴルフ場に着いたら3℃まで戻っていて、ゴルフを始めるころにはさらに気温も上昇してきたので、当日は絶好のゴルフ日和となった。やはり海辺は暖かい。

▶今年初めてのゴルフは、自分でも驚くような安定したゴルフになった。実は昨年は、春先からショットの不調に悩まされ、練習すればするほどゴルフが崩れていったので、コースに出てもゴルフが全く面白くない日々が続いた。悩んだあげく年末からはゴルフクラブを物置にしまい込んだまま、不貞腐れるようにゴルフから離れていた。それが友人達に誘われて(まったく練習もせずに)暫くぶりにコースに出てみると、意外や意外にショットが安定したのだから、ゴルフも分からないものである。まあ、これまでなんとなく考えすぎたのが悪かったと思ってはいますが。

▶ゴルフが終わってから、ホテルに引き上げて風呂に入り、友人が夕食のレストランの予約をフロントに相談すると、午後7時半の席しか空いていないという。コロナ禍だからてっきり空いていると思っていたが、そうではなかったようだ。とてもその時間までは待てないので、それなら勝浦市街まで出かけようということで話がまとまった。東急の専属バスで勝浦駅まで送ってもらい、夕方5時に駅前の「海鮮魚祭」というレストランに入った。こちらは我々が一番のりだった。

▶メニューを見ると、勝浦だけあって魚介類は新鮮で、しかも安い。友人達とは冬ごもりの間の出来事を色々話したかったし(※もちろんウクライナ情勢も)、なにより昼間のゴルフが面白かったので、一座の気分は最高に盛り上った。ビールの大ジョッキを皮切りに、地酒の飲み比べと称して三人で一升以上は軽く飲んでしまい、気が付けば午後8時近かった。タクシーを呼んでホテルまでいい気分で帰り、ホテルの売店でまたまたアルコールを買い込んで、部屋に持ち込んで飲んだ。寝たのが何時だったのか覚えていない。

▶その日の夜中に、異様な夢を見た。目を覚ますと周囲は昼間のように明るくて、窓が開いている。私の前に、友人の一人が氷の上を滑るように横切っていくのだが、周囲の景色に100%の現実感があるにも関わらず(※こんなリアルな夢を見たのは生まれて初めてだ)、友人の挙動は見るからに異様で、声をかけるとその世界が崩れるような恐怖感がある。するともう一人の友人が現れるのだが、こちらも全く同じような感じで、私はその段階でこれは現実ではなく夢なのだと自分で言い聞かせた。しかし、身体が強張って言うことがきかない。本当に怖い。

▶そして次の瞬間、目が覚めたのだが、周囲は全くの闇だった。ノドが乾いて胃がムカムカしている。起き上がって洗面所まで手探りで歩く。スイッチに触るが、どこの電気もつかない。なんと、友人が寝る前に電源マスターキーを抜いていたのだ。這う這うの体で用を足して寝床まで戻ったが、次に目が覚めたら朝だった。友人達は既に起きていてケロッとして雑談している。彼らは昨晩の酒では少し足りなかったようだが、私は10年ぶりに経験する二日酔いだった。

▶その後友人達は朝食に出かけていったが、私はなかなか起き上がれず、床の中でぐずぐずしていた。朝食が終わって戻った友人の一人は、別の用事でもあったのか、勝浦駅までバスで出て、特急で東京まで帰っていった。二日酔いの私は、もう一人の友人に車の運転を頼み、昨日来た道を千葉まで戻った。車で帰る途中に私の気分も次第に回復してくるのだが、まったく友人にはお世話になってばかりで、実に申し訳けない思いだ。千葉に戻る直前、共通の先輩の墓参りをしようということになり、記憶を頼りに松ヶ丘にある満蔵寺別院を探りあてた。

▶20年以上前に44歳で自動車事故で亡くなったその先輩は、優秀な医師だったが、勤務先の病院から帰る途中に、車ごと増水している川に転落した。原因は働き過ぎによる居眠り運転だったが、悔やみきれない死だった。残された家族は、あれからどんな人生を歩んだのだろうか。久し振りに先輩の墓参りをしてから、ようよう家まで戻った。友人は、一緒に我が家まで来てくれて、家に上がって仏壇にある妻の位牌に線香をあげたあと、昼飯も食べずに最寄りの駅から帰っていった。本当なら一緒にランチでも食べようかと思うところだが、残念ながら私は、その時まだ昼飯を食べるほどには元気は戻っていなかった・・・。