マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(6ー6)


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▶四国遍路から戻る最終日は、午前中の時間が空いたので、高松の栗林公園を散策することにした。昔、倉敷に住んでいた頃、車で瀬戸大橋を渡って四国に遊びに来たことがあり、その時栗林公園に立ち寄ったような気もするが、何故か具体的なことは思い出せない。当時の四国ドライブの目的が、開通したばかりの瀬戸大橋を渡ることだったことを鑑みるに、あるいは栗林公園には来ていなかったかも知れない。そうであれば、記憶がないのも納得がいく。

▶月曜日の午前8時半。栗林公園北口から入場したが、高松空港行のバスが東口から出ているので、荷物を東口近くのロッカーに預けてから園内を本格的に散策することにする。天気は曇り空で、今にも雨が降り出しそうだ。しかし、若い時ならいざ知らず、現在のような年齢になってくると、雨模様の天気は公園散策には絶好である。なにより人が少なく静かなのがいい。それに景色もしっとりしていて潤いがある。

栗林公園は、日本を代表する大名庭園で、説明書きによると広さは75haと、この種の公園としては日本一の広さを誇る。もっともこの広さは、西側にある紫雲山を含めたもので、庭園部分だけでは16haだが、それでも十分広大だ。初期の築庭は、江戸時代初めにこの地を治めた生駒氏によるものだが、その後に高松藩主となった松平家に作庭が受け継がれ、江戸時代中期にいたって現在ある回遊式庭園が完成した。西側の紫雲山が借景(※と言っても庭園の一部だが)となっていて、東側の芙蓉峰や飛来峰という名の小高い丘から庭園全体を眺めると、その構想の雄大さがよく分かる。
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▶とにかく人が殆どいなかったので、私は飛来峰からの眺めを独占した。園内には観光客より園内整備を担当するスタッフの方が目につき、彼らによって散策路の落ち葉もキレイに掃き清められている。往時には松平家の殿様がこの空間を独占し、庭園の維持もそれなりに大変だったろうが、令和の時代には、時季を選べば誰もがタダ同然でこの場所を楽しむことができる。思えばいい時代になったものだ。

▶飛来峰を降りていくと南湖の畔に吹上という泉がある。この泉は紫雲山から湧き出す伏流水が水源で、これまで枯れることなく栗林公園の池の全てに水を供給し続けている。


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そこから太鼓橋を渡ってしばらく進むと、掬月亭という数寄屋造りの建物が見えてくる。


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せっかくなので、中に入ってお茶をいただいたが、和服姿の若い女性が接待してくれた。この建物も昔は殿様が好んで利用したところだ。開け放たれた和室から、南湖が見渡せる。手前に見えるススキが何とも風流で、大名になった気分だ。
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▶ここまで約1時間。まだ時間はたっぷりあるので、そこから西湖に行き、紫雲山の崖から流れ落ちる滝を見たが、こちらは人工の水流とのこと。驚くことに、昔は殿様の楽しみのために、人力で山の上に水を運び上げていたそうだ。西湖から北庭に回り、公園の中央部分に戻ってくる。ここには現在商工奨励館として利用されている明治時代の建物がある。既にお茶は飲んだが、ここではコーヒーでも飲もうと思って併設されたカフェに入ったが、残念ながらこちらは臨時休業だった。仕方がないので、建物前にあった自販機のコーヒーを買って飲んだ。この建物の2階から見える庭園の風景は、芝生の広がりと手入れの行き届いた松が特徴的で、明治時代の空気を感じさせる。

▶ここにはお手植えの松と称される5本の松がある。横一列ではなく、うち2本が前に、3本が僅か後ろに配置されている。いずれも大正時代に植えられたものだが、前2本のうち右が昭和天皇、左がイギリスのエドワード8世(皇太子として来日)のお手植えである。松の配置にも、当時の日英関係の微妙さが表れているようで、興味深い。

▶時刻が11時近くになったので、ボチボチ退散することにする。この頃になって雨が本格的に降り出した。空港行のバスは東口から12時過ぎに出発するので、近くの讃岐うどんの店に入り早い昼食とした。この店は昼前にも関わらず、地元客で混んでいたが、うどんは今一つで、天ぷらは冷えて固くなっており、正直まずかった。高松市内のうどん店もピンキリで、こちらはキリに近いか。

高松空港からJAL便で羽田に戻ったのは午後3時過ぎだった。今回の遍路では80番国分寺まで回ったので、残すは8寺のみである。