マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

俳優・山本學が見る「幻視」の世界


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▶先日夜中に目が覚めて眠れなくなったので、いつものようにNHKラジオ深夜便を聞いていたら、午前4時から俳優の山本學が登場して、最近の彼の日常について色々語ってくれた。実に興味深かった。誠実な人柄で知的な印象が強い山本學という俳優は、かつて昭和の映画界では貴重なバイ・プレーヤーの一人として活躍し、誠実そうな医者や教師の役などをやらせると実に上手かった記憶がある。

▶現在既に86歳になる山本だが、一線を退いてからもそのシャープで知的な語り口には衰えを見せておらず、本人自身、正直言ってまだ50代かそこらの気持ちでいると語っていたのには、驚きを通り越して感心することしきりであった。しかも定期的なジム通いとエクササイズは86歳の今も続けており、周囲がやり過ぎを心配するほどだというから、客観的にみて理想的な年の取り方ではないか。ところが、その山本には健康面で心配することがある。それは・・今回のラジオ登場のテーマでもあるのだが・・時々「幻視」が出現することだ。

▶山本が「幻視」を見ることがあると言うと、誰しもどうせ寝ぼけていたのでしょうと思うようだが、彼に言わせると、それはれっきとした「幻視」なのだという。最初に見たのは、夜中にトイレに起きて廊下に出たら、廊下の隅にタオルのようなものが山のように積まれているのを発見する。しかしそれは現実のタオルではなかった。別の日には、寝室の壁に見たことのない迷路の図柄の絵がかかっていて、しばらく凝視していると消えた。

認知症の父親を介護した経験のある山本は、当時から脳科学の本も結構読んでいたそうで、心配になった彼は認知症専門の病院を受診する。結果は認知機能の低下は年相応だが、軽度の認知症の疑いがあるとの診断を受ける。山本は、認知症と言ってもアルツハイマー型ではなくレビー小体型認知症ではないかと疑っていて、時々見る「幻視」は、これが原因ではないかと自分では思っているようだ。

▶山本はその後、この病院が提供する脳トレーニングのプログラムに週4日も通った(医者からは1日で十分と言われたが)ことで、「幻視」は一旦治まるのだが、昨年12月3日に今度は粘土細工のような獣の姿の「幻視」が出現する。

▶一般的に「幻視」というのはそれほど珍しいものではなく、認知症患者や一部の精神病の患者のみならず、アルコールや薬の多用により脳の正常な働きが低下することでも起こりうると言われている。「幻視」の内容は、不思議と花や動物や虫などが多いが、山本の場合はプラスチックの造形物のようなモノが多いとのこと。また末期ガン患者では40%くらいの人が、「幻視」や「幻聴」などの「せん妄」を経験すると言われており、私にも悲しい思い出がある。ガンで亡くなった妹や妻は、亡くなる数日前から「幻視や幻覚」・・それは花だったり人だったりしたが・・・のことを、極めてリアルに私に語ってくれた。

▶知的な語り口で理路整然と自らの幻視体験をラジオで語る山本の話を聞いていて、私は改めて人間の脳の不思議を思った。現在の脳科学によれば、確かに山本が経験する「幻視」は、実際には存在しないものを、脳が直接見ているという意味で夢を見ているのと同じなのだろう。しかし既にこのブログにも書いているが、正常だと思って我々が見ている眼前のこの景色も、実は人間の脳の働きが作り上げた映像(=幻視)であって、その実体は網膜に届いた光の電磁波のはずである。

▶我々は色などない電磁波の交錯する世界の中に、あるかないか分からない景色を眺めているに過ぎない。そう考えれば、山本の「異常」とされる「幻視」も、我々の眼前に展開する「正常」な景色も、両者は奥深いところでつながっている脳の働きが作り出した現象とも言える。ただ残念なことに、その発生の機序は現在の科学の及ばざる領域にあるようだ。哲学者チャーマーズの言う「Hard Problem(難しい問題)」なのだ。

▶山本は、時々現れる「幻視」の症状については半分は諦めていて、いずれ数年の後にはある一定の確率で本物の認知症になることを既に覚悟しているようにも思われた。それは確かに寂しいことではあるが、だからといってどうと言うこともなく毎日の生活は続いており、身体はいたって元気のようである。

▶番組の最後は、山本による高村光太郎の「智恵子抄」の朗読で締めくくられた。この朗読は、俳優山本學の年輪を感じさせる実に見事なもので、まさにプロの仕事を感じさせるものであった。

閑話休題。これは若干書くのをためらわれることではあるが、私は昔山本學に似ていると言われたことがある。だからという訳ではないが、不思議と親近感のある山本學さん・・・是非長生きしてくださいねと思わずにはいられない。