マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

令和のジイサン・バアサンの新年会



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▶先週は共稼ぎをしている長女の家の孫二人が熱を出したので、月曜の朝から私が急遽子守りに駆り出されることになった。専業主婦が当たり前だった時代は、孫が熱を出したくらいで祖父母が駆けつけるなどということは無かったハズだが、最近ではそうも言っていられない。もっとも、更に時代を遡ること三世代同居が当たり前だった頃は、孫の子守りはジイサン・バアサンの仕事だったから、現代の子育て事情がその頃に戻ったと考えれば納得がいく。要するに、手の空いている人間が手伝えばよろしい。

▶ところで私が子どもの頃のジイサン・バアサンは、腰が曲がっていて、朝からコタツでお茶を飲むというのが定番のイメージだった。私の父方の祖母は、昼間にコタツで近所の人とお茶を飲んでいる最中に脳出血で亡くなった。まだ70代の初めだった。板金職人だった母方の祖父は、70歳を過ぎても自宅にあった細工場(さいくば)で働いていたから、いわゆる隠居老人ではなかったが、私の目から見てもやはり年寄りのイメージはあった。

昭和16年に発表された童謡の「船頭さん」では、「村の渡しの船頭さんは、今年六十のオジイサン・・」と謡われ、井上陽水は、昭和47年に発表したフォークソングの「人生が二度あれば」の中で、65歳と64歳の両親が、コタツに入って縁の欠けた茶碗でお茶を飲む姿が哀れであると謳った。陽水のこの歌は、老人に対してあまりにもステレオタイプ過ぎるので好きではないが、それでも当時結構ヒットした。今では信じられないが、私が会社に入った昭和50年代の初めでも、勤め人の定年はまだ55歳~56歳だったのである。

▶2月11日の建国記念日に、八重洲のフレンチレストランを借り切ってランチパーティーが開かれたので、参加した。集まったのは大学時代のサークル仲間で、幹事さんの呼びかけに応えて20数名の男女が集まり、昼間からアルコール飲み放題で盛り上がった。参加者の殆どが古希を過ぎているのだが、全員が意気軒高なのは頼もしい。もっとも、体調が不良の人は欠席しているので、参加者が元気なのは当たり前か。

▶一人づつ近況報告したが、当日参加者の中に現在ガンを闘病中の人が複数名いたのには、ある意味驚いた。さらに仲間うちでガンの既往歴がある者や、既にガンで亡くなっている者(私の妻も含め)も何人かいるので、全体としてみると、まさに二人に一人がガンを患う時代に入っていることを強く実感した。

▶60代でジイサン・バアサンと呼ばれた時代でもガンはあった。ただその頃はまだ日本人の多くは脳血管疾患や心臓病などの成人病で亡くなる人が多く、ガンで亡くなる人は比較的少数派だった。その後徐々に成人病は改善されてきて、現在の日本は世界一の長寿国になった。そして定年は延長され、男女とも60代の前半は現役として仕事をする人が当たり前となってきている。これは人類史上初めての快挙で、断っておくが、高齢化は悲劇ではなく、まさに喜ぶべきことなのだ。ただ、それと反比例するかのようにガンに罹る人が増えている。

▶ガンは感染症と異なり、自分の細胞が変化しておこる病気なので、闘うといってもキリがない。この細胞の変化は、新陳代謝における突然変異としてある一定の割合で起こることが分かっているが、この割合は加齢とともに増加する。この仕組みは人間が生物である以上、老化と同じく避けようのない宿命だ。だとすれば、我々はある意味自分のガン細胞と自分で折り合いをつけていくしか道はない。それはあたかも、我々が自分の体内に棲む何兆個とも言われる細菌と共生し、折り合いをつけているのと変わりない。

▶11日は、フレンチレストランで2時間のパーティーが終了したあと、大半の人が当然のように二次会のカラオケに行った。現代のジイサン・バアサンは元気がいい。何年か前にガンを患った人も、現在ガンの闘病中の人も、そしておそらくこれからガンになる人も、皆同じように楽しそうに歌った。ある者は中島みゆきの「時代」を歌い、私は仕入れたばかりの吉田拓郎の「永遠の嘘をついてくれ」を歌った。コタツでお茶を飲むしか余暇のなかった時代と比べれば、随分と良い時代になったものだ。

▶そしてカラオケが終わって東京駅へ帰る道すがら、一人の女性が「今日はこれでもう終わりでしょうか」などと物騒なことを言い出した。男たるもの当然ここで引き下がる訳にはいかないので、有志を募って東京駅構内のおでん屋でナント三次会を行うことになった。これは絶対ジイサン・バアサンの所業ではありえない。そこで更に1時間ばかり飲んでから、今度こそ本当にお開きとなって千葉まで戻った。

▶ただ私の場合、家の最寄りの駅で降りてから、いつもの居酒屋に顔を出したのだから、我ながらややあきれた感じもあるが、そこではいつもの常連メンバーが私を待っていてくれたのはやはりありがたい。ここでは殆ど酒は飲まなかったが、それでもビールとワインを少々をご馳走になったので、翌日朝起きたときはさすがに少し酒が残っていた。ジイサンになっても飲み過ぎれば一人前に二日酔いはする。