マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

新OB会、同窓ゴルフ、そしてMさんの訃報

あまちゃんロスの最中、10月に入ってからイベントが相次ぐ。2日は以前勤めていた会社の新OB会(※略称〇〇〇倶楽部)の設立総会が東京のホテルであった。私が勤めていたのは合併会社だったが、一般社員のOB会は早々に統合したものの、幹部社員用のOB会だけは統合されずに、これまで各々旧会社ベースで運営が続けられてきた。こちらもいつかは統合が必要だろうと思われてきたが、本年10月の合併20周年を迎えるにあたり、現在の経営陣が、この機会を於いては統合するチャンスはないと判断したようだ。まぁコロナが治まってきたというのも大きな理由の一つでしょうけどね。

▶ということで2日午前11時半過ぎに赤坂見附の会場に到着。天気もまずまずで、三々五々見知った顔が集まってくる。参列したOBの人達は名簿を見ると200名を越えていて、経営側からの参加者も含めると、広いホテルの宴会場はそれなりに埋まった。立食パーティー形式にも関わらず、最高齢のOBは既に90歳を超えていたが、皆さんとても元気そうで驚く。しかし、よくよく考えれば当たり前のことで、こういう会合には、そもそも元気な人しか出てこない・・・ということを後日あらためて知ることになる。

▶私の場合、リタイア生活に入って既に4年が経過したが、この会合ではまだまだ新参者だ。それでも久しぶりに旧知の人に会うことができて、話に花が咲いた。だが最初の話題は決まって「最近は何してるの?」というもの。リタイアすると「キョウヨウとキョウイク」が必要と言われるが、「キョウヨウ」とは「今日の用」、「キョウイク」とは「今日行くところ」だと言うから笑ってしまう。

▶午後1時半にはお開きとなったので、先輩の人と一緒に千葉まで電車で帰った。さて、私の場合、翌日から長崎で高校の同窓会のゴルフコンペに参加する予定が入っており、明日は早朝のフライトで羽田から出発するために、その晩は都内に住む娘の自宅に泊めてもらうことになっていた。よって、千葉に戻るや翌日の泊りがけのゴルフの支度をして、午後4時過ぎには再び都内に向かった。キョウヨウもキョウイクもあるのはいいが、何ともせわしない。

▶その晩は、娘夫婦と孫娘と近くのファミレスで夕食をとって早々と就寝。翌10月3日は午前5時半に起床。ウィークデーにも関わらず娘の旦那が羽田空港までクルマで送ってくれるというので、厚意に甘えさせてもらった。ありがたい。7時25分発JAL605便は定刻に出発したが、天気は上々で、眼下に広がる朝の東京の景色が素晴らしい。しばらくすると今度は箱根外輪山と富士山が翼の下に見えてきたが、こちらも絶景だった。
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長崎空港に到着して指定場所に集合し、幹事役の友人の先導で、空港に直結している船着き場から専用船に乗り込んだ。f:id:Mitreya:20231010132846j:image
向かったのはパサージュ琴海アイランドゴルフクラブ。このゴルフ場は、幹事役の友人が勤務していた会社が建設と運営に関わっており、今回は高校同窓会の有志が、彼の発案をもとにここで簡単なコンペを開くことになったものである。案内があったのは今年の5月で、予定が空いていたので私も初めて参加することになった。
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▶参加者は10人で、初参加の私は顔を知っているのは案内役の友人のみだったが、そこは高校の同窓会というので、すぐに仲良くなった。当日は早いランチを終えてからスルーで1ラウンドし、夜は併設されているホテルで全員で会食し、その後はカラオケを楽しんだ。メンバーの年齢層は40代~80代と幅広いが、皆同じ高校出身なので、遠慮がない。話題も必然的に故郷前橋のローカルなものとなった。ちなみに私は東海林太郎の「名月赤城山」を歌った。

▶それにしても、平日にもかかわらず現役の若い世代が、同窓会のゴルフコンペに泊りがけで参加するというのもなんとも不思議な感覚だが、職業は弁護士・会計士・U-NEXTの幹部社員というから、時間の融通が効くんでしょうね。それはさておき、ゴルフの方は若い人に置いていかれ、先輩にも置いていかれで、まさに参加することに意義があるといった状態だったが、これはいつものことです。

▶翌4日も1ラウンドした後、専用船で長崎空港まで渡り、16時35分発JAL614便で羽田まで戻った。長崎の天候は申し分なかったが、羽田に戻る便は途中で機体が揺れた。関東地方はこの時期には珍しい寒気の影響で、雨が降って急に冷え込んだようだ。この雨を境に本格的な秋が到来しそうな気配である。それでも、千葉まで電車で戻って最寄りの駅を降りた頃には雨も上がっていた。

▶長崎から戻った翌々日の6日、先日参加したOB会の事務局からメールで訃報の連絡が入っているのに気づいた。若いころからお世話になってきた職場の元上司Mさんの訃報だった。亡くなったのは先月22日のことで、OB会に連絡が届いたのは一昨日のようだ。先日のOB会にMさんが出席していないことは私も気づいていたが、まさか既に亡くなっているとは夢にも思わなかった。しかも驚いたことに、Mさんの奥様は、その4日前の18日に亡くなっており、夫婦揃って同じタイミングで亡くなっていた。子どものいないMさんと奥様の葬儀は一緒に行われ、すべてはMさんの実弟の方が仕切ったそうだが、一体どのような葬儀だったのだろう。私も昔訪ねたことのある品川駅近くのMさんのマンションには、今は誰もいないので連絡しても無駄であるとの話だった。話を聞くだに胸がつまされた。

▶私がMさんに最後に会ったのは、妻が入院していたガン研有明病院のエレベーターの前だった。背中を叩かれて振り向いたらMさんが立っていた。何をしているのかと聞かれたので、妻がこの病院に入院したんですと告げると、実は自分の女房もこの病院に入っているので、今日は見舞いにきていると言われた。会ったのはその時が最後だったが、その後すぐに私は妻を亡くし、4年後にMさんの奥様が亡くなり、Mさん自身も後を追うように亡くなった。

▶その晩は、急遽近くに住むY先輩と後輩のT君に声をかけて、3人で一駅先の駅近の居酒屋で酒を飲んだ。女房を亡くした亭主の平均余命は3年との統計があるが、Mさんは僅か4日で奥様の後を追い、私は既に4年経ったがお蔭さまで元気に暮らしている。それもこれも皆さんのお陰です、と言ったような言わないような愚にもつかない話をしながら、弔い酒を飲んだ。その後私だけ一駅電車に乗って戻ったが、駅に降りてからすぐには自宅に戻る気になれず、結局いつもの居酒屋の暖簾をくぐることになった。既にだいぶ酔っぱらっていたが、カウンターに座って女将相手に一人で再び1時間ほど酒を飲んで、ようやく納得して家に戻った。