マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

日経平均が最高値を更新


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日経平均株価が、昨日の終値でとうとう34年前のバブル期の最高値を抜いた。3万9098円だった。本日の日経新聞は、1面のほぼ全てを使ってこの事実を伝えている。実際にバブルを経験した我々の世代の多くは、1989年末に記録したバブル期の最高値3万8915円がいかに異常な値であるかを知っていたので、再び日本においてこの値を上回る株価が出現するのは、一体いつのことだろう、それは次の世代なのか、あるいは次の次かと思わずにはいられなかった。少なくともこの30年間はずっと。

▶ところが昨年、投資の神様とも称されるアメリカ人のウォーレン・バフェットが来日して日本の商社株を大量に購入したことが知れ渡ってから、株価上昇に弾みがつき、その勢いは年明け後も変わらず、僅か2か月で5600円もの棒上げの状態となった。そして昨日とうとう歴史的最高値を更新した。バブル後の最安値はリーマン・ショック後の2009年3月の7054円なので、その時からみると現在の株価は5.5倍になっている。

イチローが262本の安打を放った時に84年前のジョージ・シスラーの257安打に改めて光があたったように、また大谷翔平の二刀流の活躍がベーブルースの二刀流を改めて思い出させたように、今回の日経平均の最高値更新は、あの30数年前のバブルの時代のことを鮮やかに思い出させる。それは懐かしくも苦い思い出だ。

▶1985年9月、ニューヨークのプラザホテルで先進5ヶ国の蔵相・中央銀行総裁の会議が開かれ、ドル高是正策(=円高ドル安政策)が合意された。これがきっかけとなって始まった急激な円高と、それにともなう不況克服の為の金融緩和策が、日本に未曾有のバブル経済をもたらした。ジャブジャブの金融緩和に土地やマンションなどの資産価格が急上昇し、株価は急騰した。

▶一坪5万円ほどの千葉の田舎の土地が、瞬く間に5~10倍に上昇した。この時期に住宅を購入せざるを得なかった私たちの世代は、多額のローンを背負って、競うように住宅を買った。当時最も景気がよかったのは株高に潤った証券会社だといわれ、最大手の野村証券では、僅か3ヶ月の一般職の新入女子社員にも100万円以上の夏のボーナスが支払われたと喧伝され、うらやましがられた。サラリーマンは午前様帰りが普通になった。

▶1987年(昭和62年)も株価は上昇を続けた。その年の春だったか、私は生まれて初めて株を買った。当時住んでいた倉敷の駅前に山一證券の支店があり、そこのドアを恐る恐る入っていって口座を開いた。当時の株式の注文は、店頭か電話のみだったので、普通の人にとっては株式投資の敷居は極めて高かったのである。最初に買ったのは園池製作所という工作機械会社の株で、それから毎日のように僅かな値動きに一喜一憂した。こうなると仕事どころではない。結局、園池の株で5万円くらいは儲かっただろうか。

▶ところがその年の夏頃から株価の過熱に伴って騰落が激しくなり、10月19日のブラック・マンデーを迎える。その日、ニューヨークの株式市場では、ダウ工業株30種平均が508ドルも大暴落した。これは一度の暴落幅としては過去最大で、率にしてなんとマイナス22.6%である。

▶そして翌20日東京市場は、全株式売り気配で値が付かないという異常事態で始まった。この日、取材のため兜町を訪れた作家の清水一行は、「そこで目撃した全株売り気配というのは、下腹部に震えが沸き立つくらいの破滅の恐怖感があった」と書いた。彼はまた「資本主義崩壊のシナリオはこの実感であろうと一人納得した」とも書いている。この日、日経平均は1日で▲3836円(▲14.9%)も下落した。

▶暴落が起きたその日、私は胃袋が引きつる思いで山一に電話をかけた。とにかく持ち株を全部売ってくれというと、営業マンは、まだ為替が値段を保っているのでそこまで心配する必要はないなどと呑気なことを言う。しかし、とにかく全株売却してもらった。まだ30代で若かったし、金額的に大した損ではなかったが、それでも積み上げた儲けを全て吐き出しても足りなかった記憶がある。

▶しかしバブルというのは恐ろしい。株価は暴落後しばらくしてからまた上昇を始め、2年後の1989年末にとうとう3万8915円という天文学的値をつけることになる。この時の証券会社のコメントは、来年はすぐに4万円を抜いて、いずれは5万円に迫っていくことになるだろうと言っていた。しかし、歴史は非情である。この株価を更新するのに日本経済は「失われた30年」を経ねばならなかったからである。

▶さて今朝の日経新聞によれば、当時の日本企業の経常利益額が38兆円だったのに対し、現在は95兆円ある。当時の平均PER(株価が一株当たりの利益の何倍かを示す指標)は、61倍を超えていたが、現在は16倍にとどまっている。PERが61倍という意味は、当時の株価が企業が稼ぎだす年間利益の61年分も先取りしていたということで、これが異常でなくして何が異常といえようか。

▶結果的に、当時の日本の株式時価総額は、全世界の株式時価総額に占める割合が驚くなかれ37%の高さに及んだのだ。ちなみに現在の日本株の全世界株に対する比率は6%程度だから、この面からも当時のバブルの凄さが分かるというもの。34年ぶりに現在の株価はようやく当時の株価に戻ったが、この34年間に日本企業は利益が2.5倍に増え、売上高に対する経常利益率も3%から6%に上昇した。失われた30年間は、実は無駄ではなかったということだ。

▶ただ34年という歳月は長かったと、改めて思う。この間私は、家を建て、子どもを育て、その建てた家を損失覚悟で売却して現在の家に引っ越し、そして仕事が変わり、毎年必ず妻と国内旅行に行き、時折は海外旅行も楽しみ、その妻に先立たれて退職と同時に一人暮らしとなり、現在に至る。ちなみに30数年前に始めた株式投資は、売り買いは殆どせずに現在も続いている。