マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

前橋は遠くなりにけり・・・

▶彼岸も終わりに近づいた昨日、前橋の菩提寺にある父母の墓参りに行ってきた。車で行ってきた。先週の水曜日の彼岸の入りの日に、小田原にある妻の実家の墓参りを済ませ、金曜日は我が家の近くにある市営霊園の妻の墓参(※こちらがメインです)に行ったから、ここ数日は墓参りに忙殺?された感じである。墓参りは義務感で行く訳ではないが、遠くにある墓に行く場合、やはり出かけるにしてもそれなりに気合が必要となる。それでも、行ってくると、ある種の達成感と、何だか不思議に落ち着いた気分になるので、それも墓参りの効用かもしれない。

▶前橋には昼前に着いた。先日このブログに「紅雲町」に住んでいた頃のことを書いたが、その記憶が蘇ってきて、時間もあったので、紅雲町の利根の河原に行ってみることにした。スマホの地図で調べるまでもなく、国道17号が走る群馬大橋のたもとから降りる道は、すぐに見つかった。車でソロソロと降りてゆくと、すぐに行きどまりの駐車場があり、そこに車を置いて河原に降りてみた。

▶50年ぶりに降り立った利根の河原は、しかし私が想像していた姿とは全く変わっていた。ブログにも書いたが、当時、広い河原には手頃な大きさの丸石が、見渡す限り一面にころがっていて、その先に利根の本流が流れていた。その石を敷き詰めたような河原には、夏になると石の間から月見草が生え、夕暮れ時などそれが一斉に咲いたので、それはそれは見事な光景だったものだ。それが現在は、1メートル近い枯草が茂り、所々に7~8メートルの木も生えているブッシュ地帯になってしまっていて、あれほどあった丸石はどこにも見当たらない。

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▶50年も経っているので変わって当然だが、この変わり様がなぜ起こったのか気になった。よく見ると、河原の地面には所々にアスファルト舗装の跡が残っていて、それでここが、かつて河川敷の駐車場として整備されていたことを思い出した。それは私が前橋を去ってから随分後のことであったので、実際にその駐車場の姿を見たことはなかったが、1998年9月16日に襲った台風5号によって、この駐車場にあった85台の車が利根の濁流に押し流されてしまった事件がおこったので、覚えていたのである。その時は、駐車場の管理の在り方や賠償問題も含めて大々的に全国に報道されたが、その後群馬県の管財課の係長が、責任を感じて飛び降り自殺を図るという悲劇も起こったのだから、二重の意味で大きな事件だった。

▶その後、この河原の河川敷としての利用はなくなり、放置されて現在のような姿になった・・・というのが私の推理であるが、あとで調べてみると、やはり1500台規模の河川敷駐車場は廃止されていた。利根川の自然に任せていれば、あるいは現在もあの美しい石の河原の光景を目にすることができたのかも知れないが、人の手が入ってその後放置されると、こんなにも景色が変わってしまうものかと、しみじみ思った。

▶それでも、子供の頃、私が上り下りしたあの崖の小道はどうなったかと必死で探すと、崖の上に目印となる欅の巨木を見つけた。当時でもこの欅は、幹回りを大人が一人で抱えられるほどの大きさだった記憶があるが、今は河原から見る高さが7~80メートル近くに達する巨木に成長していた。下から藪を通して透かし見たその幹の太さは、大人3人で手を繋いでも余るほどにも見えた。

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▶この欅は、私の家のすぐ目と鼻の先の崖際に生えていて、この脇から河原に下りてゆく小道がつながっていた。私たち子供は、誰がこの崖を(※しかもよく見るとかなり急で、高さは前回書いたよりはるかに高く、15メートルはあるように見える。利根川の河川敷の幅も、調べると200メートル近くある・・)転ばずに駆け下りることができるかを競った。夕暮れには、この崖の上から河原を眺めると、対岸のはるか向こうに榛名連山が見えて、時々見ることのできた夕焼けも、本当にきれいだった。

▶小学校2年か3年の時だったと思うが、「詩」を書く宿題が出された。私がなかなか書けないでいると、母が「大きな空を掃くように、欅の枝が揺れている」とうい文言を付け加えたので、この「詩」が優等賞をもらい、私は内心恥ずかしかった記憶がある。思うに、こんな表現(※欅を箒に見立てて空を掃く)を子供が書けるはずはないので、担任の先生も、私の母の作品であることを分かっていたのかも知れない・・・古き良き時代の話ではある。

▶荒れ果てた利根の河原で、懐かしの欅の巨木を見上げながら、過ぎ去った半世紀にも及ぶ時間の長さを思った。その後国道17号線沿いにあるラーメン店で昼食をとってから、父母の墓参りを済ませ、夕方6時に千葉の自宅まで戻った。

・・・・荒れ果てし 利根の河原に 降り行けば 過ぎにし日々の 夢の跡かな・・・・