マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

燃える大仏殿 京都から奈良へ・・・奈良編(1)・・・

▶令和元年の師走、一人で京都から奈良に行く。懐かしい京都嵯峨野の二尊院の紅葉が、終わっていたことは既に書いた。京都から奈良へは近鉄で行くのが便利だと聞いていたが、当日の宿がJR奈良駅前だったので、JR奈良線の「みやこ路快速」で向かうことにする。その時刻にあわせてホームに行くと、電光掲示板に奈良線は踏切事故の影響で大幅な遅れと出ている。奈良線は単線だから、何か事故があると上下線で大幅な遅れが出るらしい。しかし、日本の代表的な都であった京都・奈良間を結ぶ路線が、いまだ単線であったとはなぁ・・・やはり近鉄にしておけば良かった。

▶奈良に行こうと思ったのは、直接の動機は紅葉が少し残っているのではないかという期待からだったが、もともと私は、古都奈良のありようとそこに流れる悠久の歴史に興味があり、仕事を離れて時間ができたら、ぜひじっくりと奈良を散策してみたいものだと思っていたからである。私はかつて神戸に住んでいたことがあるが、その時も奈良を訪れたことはなく、前回奈良に行ったのは高校2年の修学旅行の時であったから、なんと50年近く前のことになるのだ。

奈良駅に着いたのは午後2時過ぎで、駅前の観光案内所に立ち寄って市内の地図をもらってから、駅前の宿にチェックインする。冬の日は短く、奈良でも4時半には日が落ちるので、早速宿を出て、奈良公園に向かう道を上っていく。近づくにつれて道の両側には観光客目当ての店が増えてくるが、やがて猿沢の池が右手に見えてきた。右側の店の前に人だかりがある。つきたての餅を売っているので思わず並んで食べたくなるが、ぐっと我慢して左手の興福寺への階段を上っていった。

興福寺の境内に上がると、まず目につくのは五重塔落慶したばかりの真新しい中金堂だ。奈良公園の象徴的なモニュメントの一つに興福寺五重塔があり、中金堂も美しかったのでここでゆっくり時間をとって見ようと思ったが、明日も時間があることを思い出し、とりあえず堂宇の配置を頭に入れてから東大寺に向かった。

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東大寺の参道は、中国人観光客と日本人修学旅行生とおなじみの鹿で混雑していた。ああ、私も高校生の時に、同じようにこの道を歩いたはずだったがと思ったが、残念なことに当時の記憶は全くといっていいほど残っていない。高校生の修学旅行なんてそんなものかもしれない・・・。運慶一派が二ヶ月で作ったと言われる金剛力士像が睥睨する南大門をくぐり、大仏殿に向かう。

東大寺は、聖武天皇の発願により、全国の国分寺の総本山として建立された。大仏殿が建てられたのは大仏開眼後であり、完成は758年である。しかし残念なことに大仏殿は二度に亘って火災にあっている。一度目は平重衡によって1180年に、二度目は松永久秀によって1567年に焼け落ちている。現在の堂宇は1709年に再建されたものだが、最初に建てられた大仏殿は、現在のものより間口が1.5倍近くも長い、巨大なものだったようだ。大仏殿の中に入ると当時の模型が陳列してあるので参考になるが、驚くべきは、当時は南東に高さ70メートルから100メートルとも言われる巨大な塔が立っていたというから、その威容たるや言語に絶するものであったろう。天平時代に生きた人たちは、この巨大な東大寺を見て何を思っていたのだろうか。

▶大仏殿を出ると既に夕闇が迫っていた。修学旅行生やその他の観光客の群れも潮が引くように減ってゆき、大仏殿前の広場は閑散としている。私は本当に久しぶりだった大仏殿訪問に感慨を深めながら出口に向かったが、最後にもう一度見ておこうと振り返ると、目の前にある壮大な大仏殿が赤く燃えていた・・・。それは折からの夕陽に照らされた大仏殿の姿だったのだが、私の目には本当に燃えているように映ったのだった。

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夕陽に燃える大仏殿