マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

昨年3月、東大寺二月堂「お水取り」に行く

▶昨夜は比較的よく眠れたので、今朝気分よく目覚めると、もう7時半近い。月曜日にも関わらず、全く制約のない一人暮らしは、いたって気楽なものだ。寝床でぐずぐずしていると「おちょやん」が始まってしまうので、意を決してベッドを出た。新聞を取りに玄関を出ると朝の光がまぶしく、思いのほか暖かい。すわ春が来たか、と思ってしまった。

▶昨日の東京のコロナ感染者数は272人だった。年初の人数からみると、大幅に減少してきているのは嬉しい限りだ。先週からワクチン投与も始まったので、このままの勢いでコロナ騒ぎも終息に向かって欲しいものだ。が、尾身会長も言っているように、実態はそんな簡単なものではないだろう・・・。分かっているつもりだが、この陽気に接すると、ついついそう思ってしまうのは人間の性でしょうね。

▶「春が来る」で思い出すのは、東大寺二月堂の「お水取り」である。関西では、この行事を境にして本格的な春が訪れると言われているようだ。弁護士をやっている友人から東大寺の「お水取り」に行かないかと誘われたのは一昨年の年末で、その時私は奈良旅行から戻ってきたばかりだったが、奈良の印象がとても素晴らしかったので、一も二もなく思わず「行く行く」と即答した。明けて令和2年、折からのコロナ騒ぎが勃発してこの行事もどうなるかと思ったが、予定どおり行われると分かったので、昨年3月5日に、彼と二人で奈良に向かった。

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令和2年3月5日 東大寺二月堂

東大寺二月堂の修二会は、奈良時代から連綿として継続している東大寺を代表する行事で、一般的には「お水取り」の名前で知られている。東大寺のHPを見ると、この行事の正式名称は、「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と呼ばれており、古代から鎮護国家や天下泰安を願って「不退の行法」として絶えることなく継続していると言う。この間、東大寺は二度の火災に遭遇しているが、その時も、そして太平洋戦争の時も含めて、2020年現在まで1269回も続いているというのだから、これは真に驚くべきことだ。よって、たかが令和のコロナ騒ぎでこの伝統を途絶えさせる訳にはいかないのは勿論だし、そもそも修二会の目的が疫病退散も含めた国家安泰にあるのだから、コロナが怖いので止めましたなどと言えるはずがない、と東大寺の関係者は思ったに違いない。

▶そうは言っても、修二会を行うことと、(当たり前だが)それをコロナ下で見に行く行為は本質的に異なっているので、正直言って、ためらう気持ちはあったものの、今回案内をしていただくことになった奈良市内の方(この人は私の友人の知己で、東大寺に詳しい)のはからいで、二月堂の内陣に入って修二会の行法をまじかに観覧することができると聞いていたので、せっかくの機会を逃すのはもったいないと思い、参加することにした。

▶3月とは言え奈良市内の夜は寒い。当日は、防寒対策を万全にして、夕方その知人の事務所に集合し、彼と彼の奥様の案内で、私達は暮れ行く二月堂に向かって奈良公園を上っていった。午後6時半頃に二月堂直下の広場に着く。驚くかな人が殆どいない。案内してくれた彼によれば、例年は万余の人々が押し合うようにして集まるため、二月堂の近くなどは立錐の余地もなく、とても近づくことはできないほどだという。「奈良に長く住んでいるが、こんなお水取りは初めてだ」と彼は慨嘆していた。

▶午後7時。いよいよ二月堂に向かう長い登廊を、「練行衆」と呼ばれる選ばれた11名の僧侶と、それを先導していく「童子」と呼ばれる僧侶の身の回りの世話をする人が、大きな松明を担いで上り始めた。その松明が発する炎が、時折り登廊の木造天井をなめるように包む。見ている方は、火事になりはしないかとヒヤヒヤするのだが、そうならないノウハウがあるのだろう。登り切ると、松明を担いだ童子が二月堂の舞台先端までドンドンと足音高く走って行き、燃え上がる大松明を欄干の上から差し出すと、大きな炎とともに幾多の火の粉が舞台の下に雨のように降り注ぐのだ。例年だとここで大観衆から大きな歓声が上がるところだが、今年は歓声は全く聞こえない。

▶さて、修二会はこの後からが本番で、練行衆によって二月堂内陣で悔過の行法が行われるのだ。私達はこの行法を見るつもりでここまで来たのであるが、この行法を見るには、大変時間がかかることを覚悟する必要がある、ということを実は分かっていた。内陣でこの行に参加すると、深夜1時から2時くらいまで途中退席が許されないという。寒いし、当然夕食はとれない・・・ということで、友人と二人で相談の結果、早く宿に帰って一杯やったほうがいいとなった次第。軟弱だがこれも一つの生き方だろう。案内してくれた彼が我々の決断?に快く賛同してくれたのには助かった。

▶宿に戻ったのは夜8時近くだった。広い宿に今晩宿泊するのは私達二名だけだ。風呂も貸し切りで、広間にストーブを焚いてもらって、二人して酒を飲みながら遅い夕食をとった。続いているはずの修二会の行法がどうなったかついては、まったくその時の酒の話題には上らなかったのだから、いい気なものだ。

▶翌日は朝早くに百毫寺、新薬師寺を見る。その後、前の知人の案内で元興寺を見てから西ノ京に遊び、そこから京都まで近鉄で戻った。翌々日の京都では、京大の先生(この人も友人の知己)の案内で、広いキャンパスをぶらぶら歩き、その後南禅寺で湯豆腐を肴に二人で昼酒を飲んで、ほろ酔い気分で新幹線で帰った。コロナ下ではあったが、いい旅だった。誘ってくれた友人には改めて感謝したい。

▶なお、「お水取り」とは、修二会の最終日の深夜に、若狭井と呼ばれる近くの井戸(若狭の国に通じていると伝えられている)から香水を汲んで本尊の十一面観音にささげる行事のことだが、一般の人がこれを見ることはないだろう。しかし、今では修二会は「お水取り」として知られ、これが終わると関西にもやっと春が来るというのは、最初に記したとおりである・・・おしまい。