マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路に行くことに・・・


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▶以前から気にかけていた四国遍路について、この度ようやく決心がついて、この10月2日から出かけることになった。実は仕事を辞めたら何をしようかと思っている中で、四国遍路の旅は、有力な選択肢の一つでもあったのです。もともと私にはバイクツーリングの趣味があって、当時はバイクで四国を回るのも悪くないと思っていたのです。加えて宗教関係も興味ある分野であり、五木寛之の「百寺巡礼(全10巻)」などを読んでいたこともあるが、そもそも年季が入った男性(※人生の酸いも甘いもわかったという意味です)の隠れた願望の一つに「漂泊したい願望」があるのです・・・。

▶そんなこと誰が言ってるんだといぶかる向きがあるかも知れないが、古くは西行法師や松尾芭蕉、新しくは種田山頭火山下清画伯など、実例を挙げればきりがない。何より、「フーテンの寅さん」が(とりわけ男性を中心に)あれほど支持を得たのも、それを裏付けているのではありませんか、と私は勝手に思っている次第。まあ、それだけ男というものは、世の中のしがらみに囚われている、ということなんでしょう。もちろん女性もですが。

▶しかし私の場合、もう少し込み入った事情があって、定年と同時に伴侶を失っているということの方が「男の漂泊願望」より実は大きい。妻を亡くしたことの状況については、このブログにも書いているので改めて書くつもりはないが、亡くなって二年が経過した今、妻を追悼する意味あいと、自分自身のこれからの生き方の再構築に向けた一つの区切りとする意味あいを兼ねて今回行こうと思った、というのが正直なところだ。従って、定年前の段階ではバイクで四国一周を考えていたことは既に述べたが、今回は敢えて困難が予想される「歩き遍路」にすることにした。

弘法大師空海が42歳の時に開創したと伝わる四国遍路だが、話としてはでき過ぎている、と言うと叱られそうだが、本当のところは民俗学者の先生たちにも分からない、ということになっている。巡礼場所が八十八ヶ所に整えられたのも、比較的近世になってからだ。そもそも中世以降、正当な?巡礼者だけでなく食い詰めた放浪者や乞食の類が相当数いたのも事実のようで、それが証拠に、江戸時代の四国各藩は、ふらふらと旅を続ける者を厳しく統制していたというから、当時は遍路旅は必ずしも地元で歓迎されている訳ではなかったのだ。

▶さて、現在の四国遍路においては、さすがに出かけるには全く無計画という訳にもいかず、私もそれなりに調べた。八十八ヶ所を全部まわると1100㎞もあるので、歩き遍路の指南書ではこれを50日間で回ることを勧めている。平均すると一日あたり22㎞の行程になる。以前読んだ垣添忠生(※国立がんセンターの元総長で、奥様をガンで亡くされた)「巡礼日記」によると、古希を過ぎた氏は半分近い600㎞を28日で歩かれたそうだから、まあだいたいそのあたりが相場のようだ。

▶四国遍路には、順打ちと逆打ちがあって、順打ちの場合一番札所の徳島市内にある霊山寺から始めるのが普通である。ネットで調べたりするとそれなりに決め事もあるようだが、どんな格好でどこから始めようと、それはそれで構わないという。私の場合、霊山寺から始めて正味5日の行程を終わらせた後、一度自宅に戻る計画だ。いくら定年後の一人暮らしとはいえ、遍路以外に全くすることがないという訳でもなく、心配してくれる息子や娘そして友人達もいる。旅費の節約にはなるが、さすがに出たとこ勝負で88ヶ所1100㎞を通しで回るというのが無謀な選択であることも承知しているので、まずは5日間の試し打ちをしてみて、その上でその後の巡礼計画をどうするか決めるつもりでいる。

▶お蔭様で、昨年と比べると体力が充実してきているのは実感しており、先日は尾瀬至仏山にも登ることができた。コロナ対応の緊急事態宣言は明日で解除されるし、天候も、台風16号が通過したあとで特に問題はない。徳島空港行きのフライトも予約し、一日目と二日目の宿の手配もついた。持ち物の準備も大方終わったので、あとは明後日に行くだけとなっている。そして、行った後の状況を子供達や知人に連絡するにあたり、このブログを活用することも考えている。どんな展開になるか、請うご期待。